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神戸地方裁判所 昭和50年(レ)79号 判決 1977年1月28日

控訴人 平山重一

右訴訟代理人弁護士 難波貞夫

同 植田廣志

被控訴人 藤田とみ子

右訴訟代理人弁護士 野沢涓

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人は控訴人に対し、別紙目録記載の建物を明渡し、かつ昭和四八年三月三日から右建物明渡済みに至るまで一か月金五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三  控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、別紙目録記載の建物を明渡し、かつ昭和四八年三月三日から右建物明渡済みに至るまで一か月二万八〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係は、左に付加するほか、原判決事実摘示記載のとおりであるから、右記載を引用する。

(控訴人の主張)

一  控訴人が別紙目録記載の建物(以下、本件建物という。)を競落取得したのは、中嶋潔申立の不動産競売事件(神戸地方裁判所昭和四四年(ケ)第七六号)ではなく(同事件は同四七年五月一七日中嶋において取下げた)、右事件に添付されていた株式会社大阪相互銀行申立による不動産競売事件(同裁判所同四六年(ケ)第八号)においてであるから、被控訴人が右中嶋に対しいかなる権利主張をなし得る立場にあろうとも、そのことは控訴人の競落による本件建物所有権の取得という効果に何ら消長を及ぼさない。

二  被控訴人主張の本件建物の賃借権は、右競売手続の基礎となった抵当権よりおくれて設定されたものであるから、控訴人が競落によりその所有権を取得した以上、控訴人が右競落の際被控訴人の賃借居住の事実を知っていたとか、被控訴人において右建物を必要とする度合が控訴人より強いとかの事情のみのために被控訴人に対し明渡を求める控訴人の本訴請求が権利の濫用となる筋合はない。けだし、このような場合に権利濫用の法理の適用が肯認されるとしたならば、賃借権が付着した不動産を競落しようとする者は、執行官がなした物件の賃貸借取調べの結果を検討するだけでは足りず、当該賃貸借契約の締結されたいきさつ、賃借人の資産状況等まで精査することを余儀なくされ、しかもかかる調査は事実上不可能に近いから、第三者が賃借居住している物件を自己利用のため競落することが到底不可能となり、ひいて競売制度の信用が危殆に瀕することは必至であるのみならず、民法三九五条が短期賃借権の保護を定め、担保権と利用権の調整を図っている趣旨をも没却することとなるからである。

(被控訴人の主張)

控訴人主張のように中嶋潔が競売申立を取下げた事実があるか否か、あるとすればその動機等の点は被控訴人には詳かでないが、仮りに競売期日当時には中嶋が自己の競売申立を取下済みであったとしても、いったん同人の申立によって開始した競売手続において控訴人が本件建物を競落取得した以上、原審において主張のような事実関係の下では、控訴人の本訴請求が権利濫用に該るとの結論は左右されるものではない。

(あらたな証拠)《省略》

理由

一  別紙目録記載の建物(以下、本件建物という。)がもと上田勉の所有であったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、中嶋潔は永和産業株式会社(以下、永和産業という。)及び右上田を連帯債務者として金融をなすにあたり昭和四三年八月六日右上田所有の本件建物について、元本極度額二〇〇万円(同月二六日二五〇万円に変更)の一〇番根抵当権設定契約をなし、同月六日右根抵当権設定登記を了したところ(右登記の存在は当事者間に争いがない。)、同四四年四月二五日神戸地方裁判所に右根抵当権に基づく競売申立をなし(同庁同年(ケ)第七六号)、同日競売開始手続決定がなされ、同月二八日その旨の登記が経由されたこと、これより先株式会社大阪相互銀行(以下、大阪相互という。)は本件建物につき永和産業を債務者とする債権額三五〇万円の九番抵当権を設定していたが、同四六年一月二三日右抵当権に基づき同裁判所に競売申立をなし(同庁同年(ケ)第八号)、同月二五日右競売記録は前記競売記録に添付されたところ、同四七年五月一七日中嶋において競売申立を取下げた結果、右第八号事件について競売手続が進められ、同年六月二一日控訴人が最高価一八七万九〇〇〇円の競買申出をなし、同月二七日競落許可決定を得て(この点は当事者間に争いがない。)、該決定の確定をみた後代金を完納し、同四八年三月二日その旨の所有権移転登記を経由したことが認められ(反証はない)、被控訴人が同四四年九月頃から本件建物に居住してこれを占有していることは当事者間に争いがない。

二  まず、判断の便宜上、被控訴人が本件建物を占有するに至った経緯について検討する。

《証拠省略》に前記一の認定事実を総合すると、上田勉は昭和二六、七年頃本件建物を買受けて所有権を取得し、これを金融のため他に担保に供するなどして事業を営んできたが、同四三年金谷勝次郎が建築業等を営業目的とする永和産業を設立するに際し、同人より協力を求められてその発起人となり、同社設立後はその事務担当の役員を勤め、同年五月二七日永和産業が大阪相互より三五〇万円の融資を受けるについて本件建物に九番抵当権を設定したこと、被控訴人の夫は金谷の遠縁に当り、同人とは同業者でもあったが、同四三年六月死亡し、間もなく被控訴人の娘が結婚することになったため、被控訴人においてその婚資の融通方を永和産業の金谷に依頼したこと、ところで中嶋はマル屋なる屋号で高利貸をしているものであるが、永和産業はさきに上田も連帯債務者として中嶋より金融を受け本件建物に一〇番根抵当権を設定していたところ、被控訴人より右のような依頼を受け、これに応じるべく、更に中嶋より融通を受けることとし、永和産業が借受名義人となって、被控訴人分として二〇万円、永和産業分として二〇数万円を高利で借用し、被控訴人においては右二口の債務のため自己所有の芦屋市清水町三七番地所在の木造二階建居宅を中嶋に担保提供したこと、しかし永和産業が右の両債務を期限に返済できなかったため、中嶋は先ず同四四年四月二五日本件建物について競売申立をなし、更に同年五月被控訴人に対し右芦屋の自宅を代物弁済に供し明渡すべき旨要求し、被控訴人も利息が加算され到底弁済の見込もないところからこれに応じたが、差し当って転居先の目安もなく、その旨中嶋に話し、同人より本件建物は競売手続中で近く明く見通しである旨の説明があったので、同年七月前記芦屋の自宅を中嶋に明渡し、金谷方に仮寓した後、同年九月頃本件建物に入居したこと、ところで本件建物の所有者である上田は同年四月頃より服役不在中で、その家族が居住していたが、右のような経緯から、中嶋が上田の代理人として行動し事実上本件建物の管理に当ってきたもので、被控訴人の右建物入居に際しては、芦屋の居宅の時価による評価額より債務額を控除した差額一〇〇万円をもって敷金に充てた上、賃料は一か月五〇〇〇円、期間は同四四年九月一日より五年間とする建物賃貸借契約書を被控訴人との間で作成したこと、なお、中嶋は上田の家族の立退に際しては立退料一〇万ないし一五万円を支払ったこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、以上の事実関係に基づき、被控訴人の主張について順次判断する。

(一)  被控訴人は、中嶋のなした本件建物の競売申立は競売申立権の濫用に該るので競落は無効であり、控訴人は右建物の所有権を取得するに由なき旨主張する。

しかしながら、前認定のとおり、中嶋は本件建物に対し根抵当権を有し、その被担保債権の満足のため右抵当権の実行に及んだものであり、およそ抵当権者が抵当物件から必要の際安全かつ迅速に被担保債権の満足を得るために任意競売の方途を選ぶことは正当な権利行使であって、本件においては、競売裁判所が中嶋の競売申立について実体的・形式的要件に欠けるところがないと判断して競売開始決定をしたことが明らかである。もっとも、中嶋はその後、競売不動産の所有者の代理人として被控訴人との間で前記内容の賃貸借契約を締結し、被控訴人にその引渡を了しながら同時に競売手続の進行を図ったもので、そのこと自体、居住場所の安定を希う被控訴人の期待に副う所以ではないが、その故に中嶋の競売申立が違法な競売申立となるものではないし、また被控訴人の賃借権が抵当権に対抗できないものであること後述のとおりであって、従って、被控訴人が競売法二七条四項所定の利害関係人に該当せず、被控訴人が競売開始決定に対し異議・抗告をもって争う立場になかったことも明らかである。そしてその後中嶋において適式に競売申立を取下げた結果、同人申立にかかる競売記録に添付された第二の競売申立につき競売開始決定を受けた効力を生じ、爾余の競売手続が進められ、控訴人が最高価競買人となって競落許可決定が確定した後代金を完納したのであるから、競売申立人の抵当権又は基本債権が実体上存在しない等の格別の事情につき主張・立証のない本件にあっては、控訴人は競落によって有効に本件建物の所有権を取得したものというべきである。被控訴人の主張は、ひっきょう、独自の見解であって採用することができない。

(二)  次に、被控訴人は占有正権限として賃借権を主張する。

よって按じるのに、被控訴人は昭和四四年九月一日本件建物の所有者である上田の代理人中嶋より右建物を賃料一か月五〇〇〇円、敷金一〇〇万円、存続期間五年の約定で賃借し、その引渡を受けたものであるが(上田との間で有効に賃貸借が成立したかどうかはさて措く。)、被控訴人の右賃借権の設定は、本件建物に関する中嶋の根抵当権設定登記後であることはもとより、競売開始決定後でもあって、かつ民法六〇二条所定の期間を超える賃貸借であることは明らかであるから、同法三九五条の規定の趣旨に照らし、右賃借権は競落人たる控訴人に対抗できないものといわなければならない。

この点について、被控訴人は、中嶋は被控訴人が賃借権を取得するについて直接に関与した者でその賃借権を尊重擁護すべき立場にあり、中嶋の抵当権実行に基づき、被控訴人が賃借居住している事実を知りながら競落した控訴人は賃貸人たる地位を承継した旨抗争する。

しかし、賃貸借の存在する競売建物の競落人は、その賃貸借が抵当権に対抗し得るものでない限り、競落建物の所有権を取得するとともに賃貸人の地位を当然に承継するものではなく、競売申立人の中嶋が賃借権の設定に関与したとか、競落人たる控訴人が競落に際して被控訴人の賃借居住の事実を知っていた(《証拠省略》によりこれを認める。)とかの事情があるからといって、そのことの故に控訴人が競落不動産につき賃借権の負担を当然甘受すべき道理はない。ただ、賃貸借が競落人に対して対抗力を有しない場合であっても、競落人が背信的悪意者と認められるような特段の事情があるときは、賃貸借関係の当然承継と同一の効果を肯認する余地があるけれども、右に認定したような事実は、直ちにかかる特段の事情を推知せしめるものではないし、その他競落人である控訴人が中嶋において前認定のような事情のもとに被控訴人をして本件建物に入居させるに至ったことを知悉しながら競売申立人と相謀り、対抗力を有しない賃借人である被控訴人の追い出しを殊更企図するとか、暴利を得るとかの不当な目的で競売手続を利用し、不当な低廉価格で競落取得した等の背信的悪意の徴憑となるべき事実については、これを認めるに足りる証拠は存しないのである。してみると、被控訴人の前記主張もまた理由なしとして排斥せねばならない。

(三)  更に被控訴人は、控訴人の本訴請求が権利の濫用であって許されない旨主張する。

被控訴人が競売開始決定の後に本件建物に居住するに至った経緯は前認定のとおりであって、夫の死後、差し迫った必要から高利の金借をし、おそらくは法的無知の故に、自宅を手離した後、安定した住居を得られるものと信じて本件建物を賃借したものと推知され、被控訴人において右建物を明渡す場合その生活上の困惑は推測に難くない。そうではあるけれども、かかる事態の発生は、およそ抵当権者に対抗できない賃借権の設定された不動産について右抵当権が実行され、競落人が所有権を取得し、かつその円満な所有権の実現を企図して賃借人に明渡を求める以上、けだしやむを得ないところであるし、被控訴人も自己の賃借建物について既に競売手続が進行中であることの認識を有していたことは前認定のとおりである。一方、控訴人が被控訴人に対する関係で背信的悪意者と言えないことは前記説示のとおりであり、その他控訴人に被控訴人に対する積極的な害意が存したことを認めるに足る証拠もない。そして、《証拠省略》によれば、控訴人は不動産取引業者であって、他に一、二軒の貸家を所有していることが認められ、右事実からすれば、居住目的の観点からする限り、本件建物の必要度は被控訴人の方が大きいものとも考えられるが、だからといって賃借権の存在を前提としない価格で競落取得した控訴人の所有権が無視されてよいことにはならない。法は、抵当権と用益権との調和を、抵当権設定後に設定された用益関係は原則として覆滅されて競落人に対抗し得ないとする点に求めているのであって、かかる法の趣旨に鑑み、任意競売が公の機関によって行なわれる公売であり、競売の結果を保持し競売手続によって財産を取得した者の地位の安定(動的安全)を図るべきことは制度上の要請でもあるからである。被控訴人のこの主張も採用の限りではない。

四  してみると、被控訴人は控訴人に対し本件建物を明渡すべき義務があり、かつ控訴人において所有権移転登記を経由した日の翌日である昭和四八年三月三日から右建物明渡済みに至るまで賃料相当の損害金を支払うべき義務があるところ、右相当賃料額について、控訴人は一か月金二万八〇〇〇円であると主張し、原審においてその趣旨の供述をしているが、右供述はにわかに措信し難く、他に的確な証拠の存しない本件にあっては、被控訴人の約定賃料額である一か月五〇〇〇円をもって相当賃料額と認めるのが妥当である。

五  よって、控訴人の本訴請求は、前段説示の限度で理由があるのでこの部分を正当として認容し、その余の請求は失当として棄却すべきであるから、これと結論を異にする原判決を更変することとし、仮執行宣言を付することは事案に鑑み相当でないからその申立を却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松浦豊久 裁判官 大石貢二 篠原勝美)

<以下省略>

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